前回の記事にも少し触れましたが、今年は実家の片づけ…というか整理(仕分け)に本腰を入れようと考えています。
実家に帰省するといつも玄関にはお花が生けてあります
そもそも「片づけ」というのは、使ったものを元に戻す行為の事。
「整理」とはモノの要・不要判断をしながらカテゴリーにグルーピング(仕分け)する事。
実家の事なのでまずは”整理”に専念。
日常で片づけるのは住まう人(父母)なので。
「実家の片づけ」…というフレーズを聞いてイメージするのは生前整理とか遺品整理という言葉でしょうか。
私自身もほんの半年ほど前の30代までは、なんだかまだ先のように感じていたし、なんとなく暗いイメージがあったのも事実。
親からもそんな言葉を聞きたくない(寂しくなるから 涙)と思いつつも、40歳を迎えつくづく思うのは40代から生前整理始めても全然遅くない。
むしろ、私は心のどこかでいつからか”自分の最期を意識した片づけ”をしていたなと思うのです。
目の前の暮らしや3年後・5年後の未来が快適になる仕組みをつくる片づけは勿論大事なのですが、その延長線上には間違いなく人生の最期がある訳で。
2-3年前くらいから頭の中でグルグルと考えるようになったのですよね。
そんな風に人生レベルで考えると、家庭だって、仕事だって、プライベートだって、すっごい狭い世界で考えていたな…と。
(育児に仕事にってしてると目の前の事で精一杯になりますもんね。その時代があったからこそ余計に強く感じる想いかなと思います。)
だからこそ、この2年程で仕事の仕方や人づきあいなども、一部大きく変化したなと思うけれど、まだまだ殻を破りたいなぁ…と思うここ最近。
少し話がズレましたが、そもそも「片づけ」のゴールの延長線上には誰しも人生の最期がある。
なのでもはや「片づけ=生前整理」と言っても過言では無いんじゃないかなと。
だから、生前整理は寂しい事ではなくて、”いかに人生そのものを快適に心地よく過ごせる期間を長くできるか?”というポジティブな行為だな、という考えに辿り着きました。(個人的想い)
自分自身が自宅の片づけをしながら感じる事は、間違いなく体力も気力も続く時間が短くなっています(笑)間違いなく”老い”との共同生活なのです。
自分の数十歳も上の父母世代は、その分モノが多ければ多いほど、作業も大変だし判断も鈍ります。
だから時間も想像以上にかかりますし、ネガティブな感情に陥り易い。
どんな最期が親にも自分にもくるかは分からないけれど、その時がやってきた時、残った者が身内のモノを整理するのは、やはり感情が揺さぶられるであろうし、少なからず苦しい想いをするのは目に見えていますし、モノが多ければ多いほど、様々な感情が入り乱れると思います。
やはりね、そんな時の為にも、親の世代は勿論、自分自身の生前整理(片づけ)はいくら早くても(むしろ早い方が)良いと思います。
私が今年実家の片づけに本腰を入れようと思った理由はざっとこんな感じです。
①昨年度母の具合が悪くなった(本当に動けなくなる時がいきなりくるんだなと。現在は回復。)
②母の片づけ意識が元々高い(←子供の頃は嫌だったけど、今となってはホント素晴らしいとしか言いようがありません 笑)
③母が頼ってくれるようになった(私の意見を求める)
④仕事の勉強になる
⑤自分自身の暮らしを整えてきたからこそ実家の整理に取りかかれる余裕ができた
(30代に暮らしの仕組みを整えた/子どもも成長してきた/働き方を変え、自分の時間的・体力的余裕が生まれたetc.)
これらのタイミングや条件が重なったから取りかかれます。
一方的に「やろう!」というと、拒否反応が起こったり、良かれと思ってやった事も上手くいかないので気をつけて下さいね。
今回のように条件が揃ったからお互い無理なく時間をかけてじっくりと取り掛かるか!
という感じ。
とても理想的です^^
ただ、どんな方でも、事が深刻になる前(重い病気/意識疎通が困難/モノが多すぎて片づけるのに多額のコストがかかるetc.)に取りかかって頂きたいとは思います。
実家の片づけはシリーズ化になると思いますので、
先ずは私の思う”実家の片づけ”の部分をお話させて頂きました。
お正月に着せてもらった着物、縁側で風通し。実家の一つ一つの風景が好きです♡
何となく目を背けていた
そういう言えばそろそろ
実家の整理中だけど上手くいかなくて
40代なったばかりで全然考えてもみなかった!
そんな方のご参考になれば嬉しいです^^